☆とある知人の大晦日の日記に深く感ずるところがありました。
 年の瀬もこんな瀬戸際まできて、まるでこの一年を振り返るように人生を振り返っている、その思いが切なく伝わってきました。ほんとうに孤立無援に陥るよりも、時々は孤独を噛みしめるほうがいい。やっぱり、わたしたちは人生の旅人なんですね。
 特に、40代くらいの方に捧げます。


旅人のままで

         作詞 丘野けいこ/作曲 内山有希夫
                   歌 佐藤重雄

夢は熱いうちに 追いかけようと
わき目も振らずに ここまで駆けてきた

明日より今日を ただ見てたから
好きだったあいつさえ 幸せにできなかった

   帰らぬ日々が 青空のように
   ああ 眩しく 胸を刺す

旅人のままで 歩いて行けるさ
この切なさも好きだよと 歩いて行けるさ
旅人のままで 生きて行けるさ
こんな自分も好きだよと 生きて行けるさ


暖かい寝ぐらは みつからなくても
夢という相棒が なぐさめてくれるだろう
 
   こぼした涙は 朝焼けの道を
   ああ 流れる 露となる

旅人のままで 歩いて行けるさ
この切なさも好きだよと 歩いて行けるさ
旅人のままで 生きて行けるさ
こんな自分も好きだよと 生きて行けるさ

日本語の詩、いや、日本語本体の特徴として<は>とか<が>とか・・・の「助詞」という、ある意味とても便利な”瞬間接着剤”があるということは、もうすでにご承知かと思います。それだけ便利なので、普段何も意識せず使っているわけです。ただし、会話ならば言葉を発した後、意味が通じればそれでいいわけで、後は空中に消えてしまうのみですが、書いた言葉だとやはり正確さ、的確さというものも考慮に入れる必要があります。「私は貝になりたい」と言うのと「私が貝になりたい」と言うのでは相当ニュアンスが違います。これは文法でも習います。
 
 さて、今回問題にするのは<歌詞>です。
 
 歌詞とは、一旦は文字として書かれ、その後再びコトバとして読まれ、肉体を通じて発せられるものです。
書かれた言葉であり、同時に話す言葉である・・・という意味では芝居の台本、ナレーションの原稿などとも共通しています。ただ違うのがメロディーという起伏やリズム、つまり音楽的要素が加わることです。ここが歌詞の歌詞たる所以です。
 
 かつて<七五調>という日本語特有のリズム(かならずしもビートを伴わない)が主流でした。古(いにしえ)の時代は和歌(短歌)こそが歌でした。その後、俳句、川柳、都々逸(どどいつ)・・・等、<七>と<五>の組合せによる詩(歌)の形式がさまざまに発展してきたのだと思います。
 その一方、現代においては<七五調>にこだわらず、普通に話すように歌詞を書いてもいいじゃないか・・・という潮流が起きることも至極当然でした。
 例えば、有名な「悲しい酒」の冒頭はこうです。

ひとり酒場で飲む酒は
別れ涙の味がする

確かに<七五調>ではありますが、普通に語った言葉としてもさほど不自然さはありません。
ただ「別れ涙」というような言葉は、この<七五調>の枠があればこそ生まれたとも言えます。
こうして、多くの詩人は<七五調>のスタイルの中で美意識を育み、名フレーズ、名曲を生み出していったと言えます。当然、ほとんどがまず詩ありき(詩を先に作る)です。
 ぼくが思うに、昨今の演歌の”衰退”とは、【演歌的な抒情の源泉となる日本の風景・習慣が消失してしまった】という(例えば連絡船のテープだとか、列車の窓を開けて手を振るとか・・・)現実的背景とともに、【<七五調>に縛られた感性・美意識がいつしか紋切り型(ステレオタイプ)になり、聴き手の心を動かさなくなってしまった】ということもあると思います。言葉の巧みさに頼りすぎたリ結果リアリティーが失われたのです。前の日記でも書きましたが、今のJ-ポップの多くはこのリアリティー(喪失)恐怖症から、言葉の巧みさをむしろ避け、説明文のような明快さに、あるいは日記風の一方的な心情吐露に走っているように思えます。<七五調>的美意識へのある種の反動です。
 上記の「悲しい酒」もシンプルでいい詩だと思いますが、「別れ涙」というような表現があまりに使われ過ぎてしまったのでしょう。そうなると、ノスタルジーの世界でのみ歌われることになります。

 すこし横道に逸れました。<助詞>のことに戻します。
 例えば上記、

ひとり酒場で飲む酒は
別れ涙の味がする

の曲調を変え、8ビートでアップテンポのメロディーをつけたとします。
 すると、大まかには
「♪ひとり〜 さかばで〜〜」「のむ〜さけは〜〜〜」
「わかれ〜なみだの〜〜」「あじがする〜〜〜」
というようなリズムになるでしょう。
 フレーズの切れ目切れ目のうち「で」「は」「の」の3箇所に<助詞>がきますね。さらに「タタタタ タ〜」ではなく「タタタタ〜」と四つ目の音がシンコペーション(リズムの裏の音にアクセント)になります。さらに、シンコペーションの音は強調されますので、高い音が使われます。そうしたいくつかの要素を見積もると、メロディーで一番強調する箇所に<助詞>がくるケースが非常に多いことになります。
 しかし、普通にしゃべってみればおわかりのように、<助詞>とは言葉をスムースに繋ぐ”瞬間接着剤”の役割であり、比較的さらっと読み飛ばされるのが本来で、アクセントや音の伸ばしによってことさら強調されるべきものではないことがわかります。試しに上記「悲しい酒」の「♪ひとり〜 さかばで〜」の「〜」部分を強く発音してみると、とても不自然だということがわかります。これがもともとの<七五調>を意識したメロディーであれば、ほとんどそういう不自然さは生まれないのです。
 ここに最近の日本語歌詩の悩みがあると言えます。
 
 日本語の<助詞>という便利な言葉のパーツが歌詞に用いられ、それも自由なメロディーが与えられたとたん、今度は、自然なリズム感やイントネーション、意味など「言葉(フレーズ)」そのものを破壊してしまうという、重大な問題が発生するのです。それは、ある程度不可避的とも言えます。その対策はどうしたらいいか?作詞家の工夫、作曲家の工夫、それだけでは解決しません。歌手も工夫が必要です。しかし、残念ながら、その不自然さを感じ、意識して歌おうという努力を見せている歌手がどれほどいるでしょうか?歌手を育てる側、ディレクターの責任も大きいです。それも含めて現在のところ、この問題はないがしろにされていると言っていいでしょう。

 自らを破壊する<助詞>という言葉のウイルス、その怖さをもっと知ってほしいのですが、このままですと蔓延しそうです。

 この時期になりますと大晦日のNHK「紅白歌合戦」の他にも歌番組が結構多い。昨日はとある有名な歌番組(テレ朝)は見ず、力作の「東京大空襲(日テレ)」を見ていましたが、懐メロ系も多いですね。

 ただ歌番組を見ると、必ずその楽曲や歌唱についてなんだかんだと批評しながら、それもガーガー吠えてるみたいで、家人(妻)にはいつも「よくしゃべるね。黙って見てられないの?」と釘を刺されます。
 最近の曲の場合は、楽曲・歌唱ともに、評価が固定された昔の曲の場合は主に歌唱に対して「ガーガー吠えながら」見るのです。もちろん、ほんとうにいいときは黙って、時には涙を浮かべながら聴いていますよ。

 それで、最近気付いたことをいくつか。
 
 【昔アイドル今アーティスト】
 
 かつては新人の女性歌手はほとんどアイドルと呼ばれました。例えば、山口百恵、松田聖子。そんな中、自分で楽曲を作る歌手はシンガー&ソングライターと呼ばれました。例えばユーミン、中島みゆき。区別がはっきりしていたのです。
 最近はどうでしょう?アイドルもいないことはない。例えばちょっと前ですがモー娘。(あ、もう一個「。」がいるのね?・・・勝手にしろ)。あれ以来、これぞアイドルってって娘が少ない。グループだといる(パヒュームとか)。これはいないんじゃなくて名乗らない、のね。「アイドル」って言われたくないわけ。
 これは男性系のバンドで既に「ビジュアル系って呼ばないで!」という革命が起こっています。
 それに代わって市民権を得たのが「アーティスト」。もちろんこの呼び名は以前からありました。山下達郎あたりから”尊敬の念を込めて”「タレント(これだってもともとの意味は<才能>ですが)」という名称と区別した。そう、彼はクリエイティブなところがある、つまり芸術家なんだ、だからアーティストと呼ぼう・・というよう意識で。山下達郎自身、確か『ルサンチマン』というアルバムの解説では、「ぼくはアーティスト(芸術家)であると同時に(音楽の)職人でもありたい」と、それ以降「アーティスト」が一般的な呼称になることをそれとなく予言しています。宇崎竜童が「アーティストと呼ばれるよりバンドマンと呼ばれたい」と言ったのも、それと通ずるところがあります。
 
 「アイドル」とか「ビジュアル系」と呼ばなくなった(名乗らなくなった)のは、米国の歌手や演奏家の影響もありますが、一言で言うと「そのほうがカッコイイ」からです。クリエイティブで芸術性(音楽性)がより強く感じられそう、だからです。「これからはビジュアル系という呼称は使わないように」と記者会見をやったグループもいました。その気持ちは理解できます。一方で「ああ、彼等はビジュアル系だもんね。」と言われるより「アーティスト」って言われた方が音楽やってる〜って気がしますもの。これも「X-JAPAN」あたりから多くのバンドが「音楽性&ビジュアル系」という方向に傾き始めたということでしょう。「ビジュアル」の意味が拡散し、衣装や髪型に凝ること自体が飽きられてしまったのでしょう。
 
 では、昔のアイドルと最近のアーティストを比べるとどうか?音楽性や芸術性は高まったでしょうか?一概には言えませんが、質自体が変わってきたと言ってもいいでしょう。それは歌手本人よりも、それを支えるスタッフの力量や方法の違いかもしれません。
 アイドルとは、(スタッフであり職人である)大人たちが作った虚構の世界を演じてみせる、ある意味で操り人形でした。山口百恵然り松田聖子然り。その歌を支える作詞・作曲を始めとするスタッフこそが究極のアーティストだったわけです。そしてその操り人形たちが、いつのまにか影で操っていた”大人たち”を翻弄するほどに、今度は操るという逆転が起こり、双方が共に成長していくという関係があったのです。
 いま、かつてのアイドルたち(山口百恵、松田聖子他)の歌を聴くと、当時は気付かなかったのですが、歌がなかなか上手くて、楽曲もいいものが多い。
 
 あらゆる歌手がアーティストを名乗るようになったいま、それを支えるスタッフ(作詞作曲他)のアーティスト的力量が相対的に下落し、スタッフならではの職人的こだわりや技術が薄れ、あたかも歌手が自立しているかのような風景が展開されています。それがアイドルを支えた物語性、虚構性、非現実性(あの、ピンクレディーを頂点とした)よりも、世界観や等身大というような現実性を重視する内容に変わってきていることと連動しているように思われます。
 いま主流になったこのアーティスト(歌手)たちが、ほんとうに地に足が着き、自立したメッセージを強く発信できる存在へと成長することを願わずにはいられません。

☆数年前、韓国ドラマが日本を席巻していた頃、とりたてて見ることもなかったのに、たまたま『チャングムの誓い』を見たら魔術のように虜になってしまいました。
 あれから3年・・・たまたま目にした韓国ドラマがあります。既にスタートしていましたが、やっぱり魔術の力に魅せられてか、ついに毎回見るようになってしまったのが『ファン・ジニ』です。
 時代設定も『チャングムの誓い』とほぼ同時期(16世紀初期)、身分の違いを乗り越えて社会の悪習や不正と闘った女性が主人公であるのも同じ、チャングムは料理人&医者というキャラクターでしたが、ファン・ジニは芸術家という設定です。
 全24回で現在10話。チャングム役のイ・ヨンエもほんとうに魅力的な役者さんでしたが、ファン・ジニを演ずるハ・ジウォンも難しい役をよくこなしています。これからますます目が離せなくなってきます。
 http://www9.nhk.or.jp/kaigai/hwangjiny_gtv/index.html

☆3年前から、豊島区巣鴨は地蔵通りにある施設で、ぼくの友人でもあり尊敬する歌手のポプラさんが指導する<ポプラーズ>というコーラスのピアノ伴奏を努めています。時には編曲や、ポプラさんのサポートもします。
 先日の日記でも書きましたが、いま、静かなゴスペルブームが広まっているようです。ただ、信仰のある人はともかく、(キリスト教という)強い精神的支柱を持たないわたしたちにとっては、神を讃えるというゴスペル本来の目的からはやや逸れて、ゴスペル的な音楽のもつパワーを自分たちなりに求め、学ぶということになるのかなと思います。
 さて、どんなグループもやはりその指導者、主催者の考えやメンタリティーの影響を強く受けるものですが、この<ポプラーズ>はどうでしょう。ポプラさんが最も発するキーワードは「自由」です。ポプラさんは、誰かが間違っていたり音程が取れなかったりした時「みんなに合わせて」とは決して言わないのです。
ひとりひとりが自由であってこそ、初めて「みんなと(声・音が)合う」という考え方なのです。必然的に、最初の頃から、普段の練習においても15人以上いるメンバーに対して常にソロを与えてきました。それが4小節であろうと、まるまる1コーラスであろうと、とにかくひとりひとりが自由に歌うということを実感できるまで、いろんなヒントを与えながら、また叱咤激励しながら【ソロの集合体としてのコーラス】を醸成してきたのです。たとえ10人いようと30人いようと、ただ(声・音が)まとまっているというのではなく、ひとりひとりが自由に生きている(歌っている)集団でありたい、というのが彼女の理想像なのです。また、ポプラさん自身のステージでも、あれだけテクニックや表現力がありながら、それに頼るのではなく、自由な精神とそこから立ち上ってくる感情を歌に乗せていく、そのための厳しい研究と練習という生き方を実践してきました。

 さて、そんな<ポプラーズ>ですが、来年3月7日(土)に初めての単独ライブを行います。いつも練習場所にしている巣鴨の地域創造館という公共施設のはからいもあって実現します。
 そのコンサートにあたって、ポプラさんと構成などを打ち合わせした際、メンバーに”宿題”を出しました。作文です。テーマ「<ポプラーズ>と私。人との出会い、歌との出会い〜3年間を振り返って〜」。みなさんがどんなことを書いてくるのか楽しみですが、そのエッセンスをMC(曲と曲の間のトーク)の中に散りばめ、このコーラスグループの歴史が音楽の進行の中で自然と理解されるような構成を試みたいと思います。
主役はここに集う20名の人達です。彼ら(彼女ら)のエネルギーが一滴も無駄にならないよう、サポートするのが、ポプラさんやぼくの努めなのです。

 そういえば、本来ピアニストでもないぼくが伴奏をすることには、いつも心の中で「申し訳ないなあ・・・」と感じていたのですが、そんなぼくが、最近自分でもビックリするくらいピアノが上手くなってきたのです(ホントカ?)。というより、ぼく自身が自由(な精神状態)になってきたのですね。それまでは人には「下手でもいいから思い切ってやりなさい」なんて言っていたくせに、自分は「間違ってはいけない・・・」といつも萎縮していたんですね。それが、10月にあった発表会(施設の文化祭)の時、みんなのパワーに圧倒されて、むしろ引っ張られて、自由で楽しい気持ちが溢れてきたんですね。気がついたら予定していた無難なことを忘れてしまって、何かやりたい放題やっていた・・・。それが自分自身でビックリ!それを境に、相変わらず指は動かないしテクニックはカラッキシなんですけど、心だけは「何でもできそう」といつもワクワクしている。それに重く感じていたピアノのキーまでが軽いんですね。これまで鳴ってくれなかったピアノがよく響いてくれる。たぶん、聴いたらそんなに変わっていないんだろうけど、自分の感じ方は大きく変わりましたね。
 というわけで、3月のコンサートではたぶんドラムだけプラスすると思いますが、当分”専属ピアニスト”は続けることにしました

☆クリスマスとお正月。これはわたしたちにとって毎年欠かせない行事ですが、いつの世もそれなりに時代を反映しています。
 
 元旦に賑々しく行われるウィーンフィルハーモニーによるニューイヤーコンサートが衛星生放送で日本にも伝えられるようになったのは、90年代でしょうか。わたしもお屠蘇を片手に、のんびりとワルツやラデッキー行進曲などを楽しみました。その評判を元に、一時、お正月になるとオーストリアからオーケストラが大挙して訪れました。もちろん本家ウィーンフィルではないのですが、どのオケも<ウィーン>の名前を頭に付けていました。中には来日用に寄せ集めた即席オケもあったと聞きます。まあ、それでもたぶん、ブランドに弱い私たちは<ウィーン>の香りを堪能したことでしょう。相変わらずプロモーターは商売が上手いです。

 さて年末は、我が国ではなんといっても<第九>ですが、最近はクリスマスということもあって、ゴスペルもじわじわと浸透しているようです。
 ヨハン・シュトラウスといえばやっぱり<ウィーン>ということになりますが、ゴスペル(クワイヤー)の”本場”といえば・・・<NY>であり、<ハーレム>です。今年は特に”当たり年”だそうで、そう確かに来日ラッシュの様相を呈しています。もちろん、由緒正しい故に名付けられた<NY><ハーレム>なのでしょうがやっぱりちょっとブランド化しています。
 もちろん、教会などでは以前からクワイヤー(聖歌隊)どうし交流を図ったり、ワークショップを開いたりと、興行的にではなく活動しているところもあるようです。そうした裾野の広さもさることながら、歌うことが単に発散ではなく、魂の共鳴や浄化といった価値を多くの人達が求めるようになってきた、ということの表れかもしれません。
 本来のキリスト教の信仰から離れても、ゴスペルには、大いなるパワーを感じますものね。

<こんなにある!最近の来日情報>
[ハーレム・ゴスペル・クワイヤー]
http://www.tate.jp/gospel2007.html
[ニューヨーク・ハーレム・シンガーズ]
http://www.ojihall.jp/concert/lineup/2008/20081219.htm
[グローリア・ゴスペル・シンガーズ]
http://www.tate.jp/ggs/
[ザ・ARC・ゴスペル・クワイヤー]
http://www.barks.jp/feature/?id=1000004147
[エバーラスティング・ジョイ]
http://www.ej-gospel.com/
[ゲイリー・ハインズ・ゴスペル・ワークショップ]
http://www.gospel-sq.com/gary08/outline.html
[へヴンリー・クワイヤー聖歌隊]
http://pub.ne.jp/yamamizu/?entry_id=1269746
[リチャード・ハートリー]
http://christiantoday.co.jp/main/culture-news-1291.html
[ソウェト・ゴスペル・クワイヤー(南アフリカ)]
http://www.sowetogospelchoir-fanclub.jp/concerts.html
[ヨランダ・アダムス]
http://www.sankeihallbreeze.com/kouen_yora.html
[エドウィン・ホーキンス(「Oh Happy Day」作者)]
http://news.kirisuto.info/story/7

【すべての音盤は すべからくターンテーブルで平等に再生表現される権利を有する(幻の名盤解放同盟)】
 
★昨日、72歳でシンガー&ソングライターデビューを果たした安達さん(芸名ミカド千風)がある歌謡祭に出演するというので、
豊島公会堂にでかけました。ここは都内のホールの中では1,2を争うレトロな建物。昔はよく政治集会などにも行きましたっけ。

 さて、午後5時から9時まで、総勢50名ほどの出演者を数えるこのイベントは、テレビ埼玉の番組『演歌街道』の公開収録(7回分)を兼ねた「第7回スター紅白歌合戦」というもの。
 さまざまな事情から途中退出はできそうもないことがわかり、腹を括って約4時間、50曲の歌唱にお付き合いしました。

 久しぶりに耳にした、ある意味でマイナーな歌手(スター)達の、何か可笑しくて不思議な超B級とも言えるエンターテイメント。それはかつてクラブ&キャバレーの夜を彩ったフロアショー(フリーな個人芸)を彷彿とさせるものがありました。
 
 例えば、お着物を召した女性の純和風演歌・・・これはかなり多いです。ごく普通の演歌調。またドレス姿で歌う、やや洋楽的な演歌。それらの詩(うた)をじっくり聴いていると・・・その中には思わず添削したくなってくるような歌詞も結構あります(あちゃ!クセですな)。たまに、不思議なイメージの世界も垣間見られます。これは、作家の素人的な”とっちらかり”が、歌手の真面目なキャラクターと化学反応して起きた表現とも言えます。まさに未知との遭遇。
 
 初めて聴いた歌をその場で添削できるのか?と思われるでしょうが、これが意外とできるのです。
 まず、詩が聴こえてくるかどうかに焦点を当てて聴いていること。曲がほとんどスローなこと。歌手が超一流とはいかなくても歌唱力はそれなりにしっかりしている(プロ)こと。曲がどう展開するかだいたい読めること、などからできるわけです。また、そうでもしないと4時間はきついのです。こう見えても機会があれば密かに研究しているのですよ(笑)。
 
 今回、そんな中でわたしが選んだデーィプとも言える表現の歌手(グループ)ベスト3をご紹介します。
 
<第1位 ザ・ペガサス(克&ユミという男女デュオ)「山の手物語」>

 甘いムード歌謡的ボイスの克さんが4小節歌いますと、かけあいでユミさんが4小節答えて歌うという、「銀座の恋の物語」とか「居酒屋」とか、歌謡デュエットの定番とも言える曲。ところが、あにはからんや、克さんの歌に答えるユミさん、男性と同じ低いオクターブの声で出てきて・・・思わずズッコケそうになりました。予想を裏切られたからです。何気に客席を見渡すと、特に不審な顔や苦笑した顔はなく、一部ペンライトなどの応援もあって、そんなもんなのか・・・と気を取り直した次第ですが、男性がむしろ柔いくらいの声質なため、女性の声が余計野太く聞こえるのです。目を閉じていると、どちらが男性でどちらが女性かほとんどわからないほど。では、内容が<弱虫の男と叱咤激励する男まさりの女との会話・・・>かといえば決してそうでないところが究極の倒錯的幻惑歌謡なのです。でもユミさん、背は高く声は低いけどチャーミングですよ。宝塚みたいな無理に男性っぽくしているのではないのですね。地声でしょうか。他の曲も聴いてみたいところですね。
 
<第2位 内藤やすお「ちょいワルおやじのセレナーデ」>
 
 ちょっと流行には遅れた感じもしますが、詩の内容は的を得ていてまとまっています。記憶では2番「♪バジリコ アンチョビ カルパッチョ 洒落たテラスでイタ飯しても・・・・」。これがいかにも人の良さそうなキャラクターを持つ内藤さん、明るい音頭調(はずんだ手拍子もの)に乗って歌われると、もう気分は”ちょいワル”どころか”全然悪くない〜っ”ていう感じなのです。音源では女性コーラスが入っていますが、ステージではその代わりというか、あるいはダンサーなのか・・・そこはわかりませんが、看護婦さんのコスチュームを着たごく普通っぽい女の子が二人、バックで踊っています。踊るといってもただスイングしているだけですが、そこがいいのね。でも何故看護婦さんかというと、イタ飯を食べ過ぎて血糖値があがったら・・・なんて不安を歌詞にしているので、そういう繋がりからなんでしょう。でもキャバレーのショーっぽくてそのシュールさ(不思議さ)がいいのです。またなぜ”セレナーデ”かというのも疑問なのですが、内藤さんによれば<自虐演歌>と位置づけているので、まあ、ブルースとかにすると暗くなるし、最後まで気取ってみたのでしょう?この辺りの”ちょいワル”ならぬ”ちょい変”も極めつけにならない良さと言えるでしょう。
(試聴もできるようです)↓
http://www.jaim.or.jp/artist/yasuo_naito/top.html 

<第3位ユキ&ヒデ「マディソンラブ?」>
 
 男性デュオです、狩人的な。このスタイルはコブクロもそうですし、ケミストリーだってそうです。ユニゾンだけでなく、ちゃんとコーラスもやります。声もいい。でも・・・うまく言えないのですが、何かがちゃう!のです。何なんだろう?
 彼等は意外と離れて歌います。広いステージ上だと、10メートルも離れています。途中で近寄るのですが、(失礼を承知で言えば)二人の間に通い合う空気とはコブクロやケミストリーに感じる友情みたいなものとは違って、むしろ恋人同士みたいな感じなのです。どちらかというと歌謡コーラス的な甘さを強調したビブラートの多い声でハモルので、何か声で抱擁しあっているような、やはりちょっと怪しい感じが出ています。これは、コブクロやケミストリーでは逆立ちしたって出ない味であり、最近表舞台からは消えたと思っていた<旧歌謡コーラス系コーラス>はこんなふうに生き続けてきたのだなあ・・・と感心したのです。
 楽曲は、ケーナらしき音も聞こえてくる、あの「コンドルは飛んでゆく」を彷彿とさせるもので、その素朴なサウンドと、純白の派手なスーツ(ジャケ写真ではギャングみたいな黒のストライプですが)とのギャップもまさにデーィプ歌謡の真骨頂。
http://www.wing-gr.com/artist/yuki-and-hide.html

☆ちなみに『デーィプ歌謡』とは根本敬、湯浅学、船橋英雄の三氏による<幻の名盤解放同盟>が編集した書籍(1993年/ペヨトル工房刊)の名称で、彼等がセレクトしたコンピレーションCDも出ています。さらに奥深い世界に迷い込みたい方はこちら↓
http://www010.upp.so-net.ne.jp/igex/kaihoukasyu.htm
冒頭に掲げたのは彼等のスローガン、
【すべての音盤は すべからくターンテーブルで平等に再生表現される権利を有する(幻の名盤解放同盟)】

★来年はちょっと地味目ですが初っぱなからコンサートがあります。

【1月11日(日)チャープスライブ】
         吉祥寺MANDALA2 14:00〜
 ステージ101他で活躍した3人の元祖姉妹コーラス、すごくハモルし、楽しいよ。でも既にSold Outらしい。

【2月5日(火)笠井清美THE SAX CONCLAVE CD発売記念ライブ】
        赤坂Bflat 19:30〜
 ぼくもプロデュース・アレンジで関わりました。素晴らしいSAXアンサンブル!
【2月15日(日)浅草うららオーケストラ結成1周年初ライブ】
        at浅草公会堂 時間未定
 単独...っていうわけには参りませんが、天下の浅草公会堂のステージに立てるイベントとあって現在メンバー約10名、張り切って練習しています。
http://www.suzuki-ichiro.com/music/event_info/index.html

【3月7日(土)ポプラーズ1stコンサート】巣鴨中山道待夢18:00
 ゴスペル&コーラスのポプラーズも3周年にして初単独コンサート。今回はpiano+drumsも入る予定、全16曲、構成もしています。ここのメンバーもみないい人達です。



<もんなかもんじゃオーケストラ2009コンサートプログラム案>
                    2009.9.5&6
[1stStage映画音楽大全集]
1.小象の行進vsピンクパンサー(H.マンシーニ&動物)
2.ひまわりvs★○○○(?)
3.タクシードライバーvsネバーオンサンデー(団員リクエスト) 
4.★サウンドオブミュージックvs★ウエストサイドストーリー(2大ミュージカル)
5.男と女vs★シェルブールの雨傘(フランス作曲家)
6.★007メドレーvs★○○○(アクション)
7.★蒲田行進曲vs★ニューシネマパラダイス(映画への愛)
8.★スターウォーズvs★2001年宇宙の旅(スペースもの)
(順不同、まだまだ未定の個所あり)。
[2nd Stage]
[夏を惜しんで]
9.夏の日の恋
10.波路遥かに
11.サマータイム
12.○○○
[歌おう!HAPPY HATTORI SONGS]
13.胸の振り子
14.山寺の和尚さん
15.蘇州夜曲
16.東京ブギウギ
[フィナーレ]
17.ビューティアンドアニマル

★先日、知人の結婚式と披露宴がありました。
 花嫁は、もんなかもんじゃオーケストラの創立メンバーでフルート奏者のSATOKOさん。
 その日披露宴では、両親への記念品贈呈というフィナーレの前、花嫁のSATOKOさんが、ウエディングドレス姿で、歌に託して両親への思いを伝えました。
 tommyさんの詩にぼくが作曲したものです。初公開です。
 当日の伴奏はもんオケの二人のフルート奏者とギターのBENさん、そしてわたしがキーボードを弾きました。さて、ご出席のみなさんにはどう聴こえたのでしょうか?会場がいい雰囲気であったことは間違いありませんが...。


  BOUQUET(ブーケ)
      作詞:平野健司/作曲:内山有希夫
 
    
    すこし気よわな早春の
    光さすホテルの小部屋
    鏡のなか 束ねた髪を
    そっとなでるママの指先

    わがままだったわたしも
    いまではなつかしくて
    溢れる想いは滲んで
    伝えられそうもない

    ああ今日の日を忘れない
    幸せだったと伝えてよ
    ああいつまでも忘れない
    わたしを愛してくれて


    
    今日が最後ね こうして
    パパと腕を組んで歩く
    でもねどことなく似てる
    わたしの選んだひとは
 
    ありふれた思い出たちも
    金色に輝きはじめ
    ゆっくり黄昏つれて
    明日をむかえるから

    ああ今日の日を忘れない
    近すぎて見えなかった
    ああいつまでも忘れない
    わたしの愛しいひとたち


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